※本記事はネタバレを含みます。

『果てしなきスカーレット』は駄作?ネット上の「酷評・批判」の全容と賛否両論まとめ

細田守監督の最新作『果てしなきスカーレット』は、公開直後から「傑作」と「駄作」の間で評価が大きく分かれる、賛否両論を巻き起こしている作品です。SNSや映画レビューサイトでは、その極端な評価の振れ幅が大きな話題となっています。本記事では、この作品に対するネット上の評価の全容を客観的に分析し、その評価の背景にある要因を深掘りします。

公開後の一般的な評価は?「おもしろかった/つまらなかった」の比率を分析

『果てしなきスカーレット』の公開後の評価は、一般的な細田守監督作品に見られる熱狂的な支持と、冷ややかな批判が同時に存在する特異な状況です。データベース内の感想にもあるように、「酷評されているようだが、全体としては嫌いではなかった」といった、「好きではないが駄作ではない」という「評価不能」な困惑が目立ちます。ストレートに「面白かった」と評価する意見は、「近年の細田作品の中ではかなり納得した、良作」という形で、映像美や普遍的なテーマ性を評価するものに集中しています。一方で、「最後まで微妙だった」「感情を揺さぶられない」といった「つまらない」という感想も多数存在し、特に細田守監督の熱心なファン層の間で「順当に微妙」と評価される傾向が見受けられます。

酷評・批判の主な理由は?(脚本・設定・キャラクター造形の「浅さ」)

本作への酷評や批判の主な原因は、脚本・世界観設定・キャラクター造形の三点に集約されます。

第一に、脚本について「人物造詣に差がありすぎるから物語の手触りも妙に凸凹している」と指摘されており、監督が関心のある部分とそうでない部分の掘り下げの深さに大きなムラがある点が不満として挙げられています。第二に、世界観の設定です。「死者の国」という壮大なファンタジー世界であるにも関わらず、そのルールやロジックが曖昧で、「世界観の矛盾の塊がそこかしこに潜んでいる」と感じる観客が多く、特に「この世界の食べ物はどこから?」「弾丸には限りがあるはず」といったリアリティの欠如が指摘されています。第三に、キャラクター造形、特に現代人の看護師・聖(ひじり)が「圧倒的にそう(造詣が浅い)」と評されており、その行動原理の一貫性のなさが物語の説得力を弱めているとの批判が目立ちます。

賛否両論でも「絶賛」されたポイントはどこ?(映像美・アクションシーン・普遍的なテーマ)

多くの批判がある中でも、本作が共通して「絶賛」されているポイントは以下の三点です。

  • 映像美と革新的な表現: 「映像は細田監督作品らしく素晴らしかった」「映像表現は細部に至るまで美しかった」と、細部に至るまで徹底された美麗なアニメーションと、3DCGを大胆に活用した「日本のアニメーション表現を大幅にアップデート」する試みは高く評価されています。

  • 剣戟アクションシーンのクオリティ: 主人公スカーレットの短剣を用いた戦闘シーンは、「見ていて爽快感があり、一歩間違えば死んでしまう中で、多勢に無勢を強いられながらも戦うスカーレットの姿は美しい」と絶賛されており、モーションキャプチャーを駆使した滑らかな動きとカメラワークが「一流のアニメーション」として認識されています。

  • 普遍的なテーマ性: 「怒りの連鎖と、慈悲と癒しの対立構造」「人類普遍のテーマを美しい映像と演者の熱演で示してくれた」と、復讐と赦し、生と死、愛といった重厚なテーマを真正面から描いた点は評価されています。

細田守監督作品における本作の位置づけ:過去作との比較で見えた特徴

『果てしなきスカーレット』は、細田守監督のキャリアにおいて、特に異彩を放つ作品と位置付けられます。

『時をかける少女』や『サマーウォーズ』といった現実世界とファンタジーが交錯する作品群に対し、本作は「死者の国」という「輪をかけてファンタジーな世界」をメイン舞台としています。これにより、これまでの細田守作品で批判されがちだった「現代社会が舞台故のノイズ」がファンタジー設定によって「解決している」という見方があります。また、「ケモナー要素とショタ要素」といった、これまでの細田守監督作品の「らしさ」が排除されており、「自分の作りたいものを作っているぞ、こいつは」という、大衆に媚びない極めて個人的なビジョンを突き詰めた作品であるとも解釈されています。この「意味不明でこわい」と感じさせるほどの強いビジョンが、評価を「困惑」という形で二分させているのです。


酷評に多い「〇〇が下手/ひどい」の真偽を検証【脚本・キャラ造形・声優】

『果てしなきスカーレット』に対する批判コメントでは、「脚本が下手」「キャラがひどい」といった直接的な言葉が多く見られます。これらの批判が具体的に何を指しているのか、データベースの記述を元にその真偽を検証します。

脚本家・細田守が抱える「ご都合主義」「一貫性のなさ」の批判

脚本家としての細田守監督が繰り返し受けている批判が、本作でも「ご都合主義」と「展開の一貫性のなさ」です。観客からは「もうわざと狙っているのでは?というくらい世界観の矛盾の塊がそこかしこに潜んでいる」と指摘されています。特に、物語の進行上、都合の良いタイミングで現れる「竜」や、世界観の壮大さの割に「尺不足感」があり、展開を急ぐためにロジックが省略されている点が「ご都合主義全開」と見なされています。

しかし、監督自身は「意図してご都合主義全開の見せ方をするのは絵本の表現に近しいものがある」と解釈されている可能性も指摘されており、本作は「映画ではなく絵本や歌劇を見る感覚で楽しめば、また違った魅力を感じられる」という擁護的な意見も存在します。

「聖」や「老婆」など、主要キャラクターの造形が浅い・浮いているという指摘

キャラクター造形については、現代の看護師である聖(ひじり)が最も批判の的となっています。聖は「戦うことを望まない」穏やかな人物として描かれますが、終盤で突如「散々やめろと訴えた人殺しを犯す」という矛盾した行動を取り、観客に「頭の中は???」という強い困惑を与えています。彼は「いわゆる綺麗事で説教してくるキャラ」であるにも関わらず、その「一貫性のなさは酷い」と断じられています。

また、彼の造形が「細田守監督が好むタイプの男性キャラクターじゃない」と評され、制作途中で急に足されたのかと思うほど、作品の世界観から「浮いている」と指摘されています。聖以外のキャラクター、例えば「老婆」についても、物語上必要な役割を果たすだけで、その「造詣がびっくりするくらい浅い」と厳しく評価されています。

芦田愛菜(スカーレット役)の演技は「下手」なのか?叫びや感情表現の評価

主人公スカーレットを演じた芦田愛菜さんの演技については、概ね高評価が寄せられています。細田守監督は「彼女くらいの演技力・表現力がないと、このスカーレットという役を表現できない」と大抜擢しており、彼女の演技は「熱演だった」と認識されています。

しかし、批判的な意見も存在し、「叫ぶシーン以外は良いものだった」としつつも、感情を露骨にあらわにする「叫ぶシーン」では「やや厳しい部分があり」「かなり違和感を産んでいる」という指摘もあります。また、スカーレットという中世の復讐姫というキャラクターと、芦田愛菜さんの「声のミスマッチさ」があり、これがキャラクターへの没入感を拒絶させていると感じる観客もいるようです。

なぜ歌やダンスシーンは「蛇足」「意味不明」と言われるのか

本作には、突然ミュージカルの場面や、現代の渋谷の交差点でのダンスシーンが登場し、これらが「絶対にいらない」「意味不明」と強く批判されています。

批判の理由は、主に「世界観の破壊」と「尺の無駄遣い」です。重厚で過酷な「死者の国」という世界観の中で、唐突に「渋谷の交差点で踊る?」という幻視が長尺で挿入されるため、観客の集中が途切れ、「なんだこれ」という感想になるのは必然とされています。特に「渋谷の交差点で踊るのが人生の喜びで復讐心への贖いになる?」という問いに対し、「いやいやふざけたことを言うんじゃない」と、そのテーマ性に対する拒否感も生まれています。また、全体的な尺不足が否めない中で、これらの長尺のミュージカル場面は「蛇足」であり、「観客を惹き込むための尺に回して欲しかった」という意見が根強いです。監督自身が「愛」「愛」を連呼する曲の作詞まで手掛けている点も、このシーンが監督の強い主観的ビジョンであると受け取られ、プロの仕事としては疑問視されています。


作品の核を理解する:あらすじと重要な「設定」の解説【ネタバレなし】

『果てしなきスカーレット』は、壮大な世界観と普遍的なテーマを持つファンタジーアニメーションです。ここでは、映画を理解するための核となるあらすじと重要な設定を、未見の方向けにネタバレなしで解説します。

物語の導入:復讐に失敗した王女スカーレットが目覚めた場所は?

主人公は、中世の王女スカーレットです。彼女は父である国王を殺し、王位を奪った叔父クローディアスへの復讐を試みますが、これに失敗し命を落とします。スカーレットが次に目を覚ました場所は、生と死が交じり合い、過去も未来もない≪死者の国≫と呼ばれる狂気の世界でした。この国は、人々が略奪と暴力に明け暮れ、力のない者や傷ついた者は<虚無>となり、存在そのものが消えてしまうという過酷な場所です。スカーレットは、敵である叔父クローディアスもこの世界にいることを知り、改めて復讐を果たすことを強く誓います。

現代から来た看護師・聖(ひじり)との出会いと二人の旅路

復讐を胸に旅を続けるスカーレットは、この≪死者の国≫で、現代の日本からやってきた看護師の青年、聖(ひじり)と出会います。聖は自分が死んだことを自覚していないようであり、命は大切だと説く戦うことを望まない人物です。一方、スカーレットは戦うことでしか生きられないという価値観を持ち、二人は最初は衝突します。

しかし、聖は敵味方に関わらず優しく接し、傷ついたスカーレットの身体も治療します。この温かい人柄に触れ、凍り付いていたスカーレットの復讐心に囚われた心は、徐々に溶かされていきます。時を超えて出会った二人は、共同で旅を続けるバディとなります。

鍵となる世界観「死者の国」と「虚無」の基本設定とは?

本作の舞台である≪死者の国≫は、単なる死後の世界ではありません。ここは、死んだはずの人物たちが、再び過酷な生を送る場所です。この世界の設定の鍵となるのが<虚無>という概念です。

<虚無>とは、人々がこの世界で再び死ぬ、あるいは力を失い完全に存在意義を失った場合に、その体が塵となり、跡形もなく消滅してしまう状態を指します。人々は、この<虚無>となることを極度に恐れており、それが略奪や暴力が横行する理由となっています。叔父クローディアスは、スカーレットを<虚無>とするために容赦なく刺客を差し向けてきます。

「見果てぬ場所」を目指す目的と、王女スカーレットの最終的な<決断>

叔父クローディアスは、≪死者の国≫の中で誰もが夢見る“見果てぬ場所”を見つけ出し、そこを我がものにしようと民衆を扇動し、支配しています。スカーレットと聖は、クローディアスを見つけ出すため、次々と現れる刺客と闘いながら、この“見果てぬ場所”を目指してゆくことになります。

この果てしない旅路の先に、スカーレットは、復讐を果たすのか、それとも別の道を選ぶのか、という運命の刻(とき)を迎え、ある<決断>を下します。この<決断>こそが、本作が現代を生きる全ての人に突きつける「生きるとは?」という問いへの、監督からの回答となります。


【ネタバレ解説】結末・真意・未回収の伏線を徹底考察

ここからは、『果てしなきスカーレット』の核心に迫るネタバレを含みます。結末と、作中で描かれた描写の真意について深く考察します。

スカーレットがたどり着いた最終的な<決断>とは?(許すエンドの是非)

スカーレットがたどり着いた最終的な<決断>は、父の復讐を果たすことではなく、憎き叔父クローディアスを「許す」というものです。

彼女は復讐心に囚われた不毛な人生を生きるのではなく、聖との出会いを通じて愛と生きる喜びを知り、「自分の生を根本的には肯定」する道を選びました。彼女がクローディアスに対し、自分の命に換えても許せないというほどの葛藤を経た描写が不足しているため、「スカーレット、そんな軽い気持ちで考えなしに復讐って言ってたの?」という、復讐心の軽薄さを指摘する批判につながっています。この復讐エンドを「許すエンド」に反転させた結末は、「ハムレットさえ馬鹿にしてるのか?」という、原作ファンの強い反発も呼んでいます。

「夢オチ」なのか?聖が急に人殺しを犯した行動の真意

劇中、聖がキャラバンの人から貰った楽器を売り、武器を装備して、散々否定していた「人殺しを犯す」という矛盾した行動について、その真意は物語の解釈を難しくしています。

この物語の大部分は「死にかけていたスカーレットの見ていた文字通りの『夢』のようなもの」という解釈があります。現実パートだけ見れば単純な話であり、≪死者の国≫は、復讐に囚われたスカーレットの内面を描くための「極めて主観的で抽象的な舞台空間」であるという見方が有力です。聖の行動の矛盾は、スカーレットの「生きたいけど許せない」という無意識下の葛藤が、聖というキャラクターを通して表面化したものかもしれません。また、聖は現代人であるため、平和的な価値観を説きながらも、極限状態では結局暴力に頼ってしまう「現代人を皮肉的に描いている」という解釈も成り立ちます。

謎の竜(サンダードラゴン)は何のメタファーか?

作中でいいタイミングで現れ、死者の国の人々に雷を落とす謎の竜(サンダードラゴン)については、その正体が明確に語られていません。

最も有力な解釈は、この竜が「罪を罰する存在」や「世界の摂理そのもの」といった、何かしらのメタファーとして機能しているというものです。物語の終盤では、スカーレットが許しを選んだ後、クローディアスに対して天誅を下すかのように現れて彼を<虚無>に導きます。つまり、復讐の連鎖を断ち切ったスカーレットの「決断」を後押しし、物語を強引に結末へ導く「都合の良い装置」としての役割を果たしているとも言えます。その突然の出現と消滅は、物語の整合性よりもビジョンを優先する細田守監督の作劇スタイルを象徴しています。

スカーレットの母親(ガートルード)が娘を嫌う理由は描かれたのか?

スカーレットの母親である王妃ガートルードが、娘のスカーレットのことをあんなにも嫌っている理由は、作中では深く掘り下げられていません。

観客の感想にも「そもそも母親がスカーレットのことをあんなにも嫌っているのはなぜ」という疑問が残されています。ガートルードとスカーレットの関係性は、復讐というテーマ以上に、物語に重層的な深みを与える要素となり得たにもかかわらず、本筋の復讐劇と愛のテーマに焦点が絞られたためか、その未来や背景が描かれることは見送られました。ただし、悪役クローディアスが「ガートルードだけは気に掛けて(愛し続けて?)いた点」が描写されており、その複雑な三角関係の存在だけが示唆されています。


『ハムレット』との関係性:原作からの再解釈は成功したのか?

本作がシェイクスピアの四大悲劇の一つ『ハムレット』を下敷きにしていることは周知の事実です。この項目では、原作との比較から、本作が「再解釈」に成功したのかどうかを考察します。

ハムレットを下敷きにした復讐劇としての共通点と相違点

『果てしなきスカーレット』と『ハムレット』の共通点は、「父を叔父に殺され、叔父が母と再婚した後に復讐を誓う」という基本的なプロットです。主人公スカーレットの復讐の動機と、父の亡霊(あるいは遺言)の存在も原作を踏襲しています。

しかし、決定的な相違点は、その結末とテーマの焦点です。原作『ハムレット』が復讐の果てに主要人物がほぼ死に至る「復讐エンド」であるのに対し、本作は「愛と赦し」による「復讐を許すエンド」へと転換しています。また、ハムレットが抱える「生きるべきか死ぬべきか」という内省的で絶望的な葛藤が、本作では現代から来た聖との対話を通じて、「生きたい」というポジティブな生命の肯定へと昇華される点が異なります。

「再解釈」ではなく「反転劇」と批判される理由(復讐から許しへの転換)

本作の結末は、一部のレビュアーから「再解釈なんかじゃない、これはただの反転だ」と厳しく批判されています。これは、原作の復讐エンドを、主人公の深い葛藤を十分に描かないまま、単に許しのエンドへと「上っ面の反転劇」として持っていったという認識に基づいています。

真の「再解釈」であるならば、原作ハムレットが許しを求められた際に味わうであろう「葛藤や絶望や自我の捩れる苦しみ」を深く描くべきであるとされます。しかし、本作ではその過程の描写が浅く、「生きたい連呼や救いがたい復讐相手に微笑みかけるのも上っ面の反転劇でしかない」と見なされています。単に復讐の結末をポジティブな「愛」で塗り替えただけで、現代的なテーマに回収しようとした試みは、逆に原作が持つ重厚な問いを軽視していると批判されています。

シェイクスピアのテーマ「生きるべきか死ぬべきか」への本作の回答

シェイクスピアの有名なテーマ「生きるべきか死ぬべきか(To be, or not to be, that is the question)」に対し、『果てしなきスカーレット』は、「生きたい!」というストレートで単純明快な回答を提示しています。

この回答は、現代の世情に置き換えて「怒りの連鎖を断ち切り、慈悲と癒しを選択する」という人類普遍のテーマを、美しい映像で示そうとしたものです。しかし、この「生きたい!」の連呼や、平和へのメッセージは、「あまりにも綺麗事がすぎる」「こんな世界は今あるか?」と、その綺麗事すぎて非現実的な内容に苦々しさを覚える観客も少なくありません。この作品が描く平和のメッセージが、現代の戦争や紛争に対しても同様に語れるか、という問いに対して「説教臭さだけが強くなる」という批判も生まれており、テーマの「高尚さ」だけを評価する風潮に対し、懐疑的な視線が向けられています。


豪華キャスト陣と細田監督の作家性【声優・制作背景】

『果てしなきスカーレット』は、細田守監督作品初参加となる豪華なキャスト陣と、監督の新たな制作意図が込められた映像表現が特徴です。

芦田愛菜、岡田将生など主要キャストの配役の狙いと評価

中世の王女スカーレット役の芦田愛菜さんは、細田守監督作品史上初の主人公として大抜擢されました。芦田愛菜さんは当時19歳という設定の王女を豊かな声色で演じ分け、その演技力と表現力は高く評価されています。しかし、前述の通り、叫びのシーンやキャラクターとのミスマッチを指摘する意見も一部に存在します。

看護師の青年・聖役の岡田将生さんは、「復讐に燃えるスカーレットの鞘のような存在」となることが期待され、穏やかで優しいバディとしての存在を演じました。彼の「優しい歌声!」は観客に好意的に受け入れられていますが、キャラクター自体の行動原理の破綻が指摘されているため、役者としての評価とは別に、キャラクターの評価は芳しくありません。

役所広司、吉田鋼太郎らベテラン俳優陣の起用と存在感

本作では、主要キャスト以外にも、役所広司さん(クローディアス役)、吉田鋼太郎さん(ヴォルティマンド役)、松重豊さん(コーネリウス役)、斉藤由貴さん(ガートルード役)、市村正親さん(アムレット役)など、超豪華なベテラン俳優陣が参加しています。また、声優陣として宮野真守さん津田健次郎さんの参加も決定しています。

これらの豪華キャスト陣の起用は、作品に「重厚感と強いエンターテインメント性」を与えることを目的としています。特に悪役クローディアスを演じた役所広司さんは、物語の敵役として強い存在感を示しています。しかし、そのキャラクターの造形が浅いと批判されたヴォルティマンドとコーネリウスについては、「宮野真守と津田健次郎のやたら声の良い登場に意味を見出せない骸骨2人組好き」という、声の良さだけが際立ってしまったという皮肉めいた意見も見受けられます。

監督の「作家性」は残っているのか?ケモナー・ショタ要素の排除

細田守監督作品の特徴として語られてきた「ケモナー」要素や「ショタ」要素は、本作では明確に排除されています。

これは、細田守監督が「バケモノの子の時点で作家性と呼ばれるものは限界だった」という自己認識から、既存の代表作の焼き直しを避け、あえて自身の「好きな要素の排除」を行った結果と解釈できます。監督は「アニメーション映画は映画の中の一分野や実写映画の傍流ではなく絵画の歴史の一分野だと思っている」と語っており、本作はむしろ彼の強い「ビジョン」と、革新的な「絵の作家」としての意識を追求した結果です。従来の「細田守らしさ」を求めるファンからは、「喪失感すら感じてしまった」という声も上がっていますが、これは監督が新たな境地を模索した挑戦の裏返しと言えます。

監督が意図した「ファンタジー」表現と3DCGの役割(日本アニメのアップデート)

本作は「2D」や「3D」という枠に収まらず、「日本のアニメーション表現を大幅にアップデート」することを目指しています。

細田守監督は、手描きとCGは対立するものではなく、両者の長所を重ね合わせるべきだと考えています。本作では、中世デンマークなどの現実パートは2D作画で、≪死者の国≫パートは3DCGで描かれ、使い分けられているという見方があります。特に、キャラクターが<虚無>となり消えてゆくシーンなどでは、3DCGによる「実体としてモデリングされたキャラクター」が「そこから跡形もなく消えること」の滋味が増すという、CGならではの表現意図が見られます。しかし、全体的に3DCGが「もっさりしていて、コマ数の関係でアクション・バトルシーンもずっとカクついていて残念」という、技術的な課題を指摘する意見も存在します。


映画鑑賞前に知っておきたい基本情報(興行収入・上映時間・入場特典)

最後に、映画鑑賞を検討している方が知っておきたい、作品の基本情報と興行的な側面についてまとめます。

『果てしなきスカーレット』の興行収入の現状と今後の見通し

『果てしなきスカーレット』は、公開直後から「上映2日目にしてガラガラ」という報告もあり、興行収入の面で苦戦する可能性が指摘されています。

監督作品の中で興行収入が最も振るわなかったとされる2018年の『未来のミライ』は28.8億円であり、一部の映画評論家からは、本作の成績がこの28.8億円を超えるかどうかが一つの大きなラインになるとの見方が示されています。

(参考リンク)細田監督最大のヒット『竜とそばかすの姫』 日テレにもハブられた『未来のミライ』

近年の映画業界では、鬼滅の刃やチェンソーマンといった人気原作の映画化が必勝法と確立される中で、本作のような「ギャンブルみたいなオリジナル映画」は厳しい立ち位置にあります。特に本作は、従来の細田守作品に比べて「エンタメじゃない」と感じる観客も多く、コアなファン層以外の動員に課題を残している可能性があります。しかし、本作は日本および全世界で東宝とソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの共同配給が決定しており、世界規模での公開戦略によって、長期的な興行成績が期待されています。

上映時間、製作国、配給会社(東宝・ソニー)など基本データ

『果てしなきスカーレット』の基本情報は以下の通りです。

  • 上映日: 2025年11月21日

  • 製作国・地域: 日本

  • 上映時間: 111分

  • ジャンル: ファンタジーアニメ

  • 配給: 東宝、ソニー・ピクチャーズ

本作は、細田守監督作品としては異例となる、東宝とソニー・ピクチャーズ エンタテインメントの共同配給体制を取っており、この体制は「日本から世界へ、細田守監督の想いと『果てしなきスカーレット』は放たれてゆく」という意図の現れです。

映画館で手に入る入場特典(配布物)の種類と入手方法

映画の興行を支える重要な要素として、入場者特典があります。鑑賞者にとっては、映画館に足を運ぶモチベーションの一つです。

『果てしなきスカーレット』では、公開週やその後の週替わりで、様々な入場特典(配布物)が用意されることが一般的です。過去の細田守監督作品でも、設定資料集や描き下ろしイラストなどが配布されており、本作でもファンにとって価値の高い特典が提供されている可能性が高いです。具体的な特典の種類や入手方法については、映画の公式サイトや公式SNS、または鑑賞前に映画館に直接確認することが確実です。

本作の製作会社「スタジオ地図」の次回作への期待と課題

本作の製作会社である「スタジオ地図」は、細田守監督とともに革新的なオリジナルアニメ映画を作り続けています。

『果てしなきスカーレット』の評価が賛否両論に分かれたことは、次回作への期待と同時に、いくつかの課題を残しました。課題としては、「今回の失敗(失敗)で偉いさんから脚本家付けろとか本当に言われるかもしれん」という、監督脚本体制の是非が問われています。

実際、過去の興行的な成功作である『時をかける少女』や『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』では、監督自身ではなく奥寺佐渡子氏が脚本を担当しており、細田監督が単独で脚本・原作を務め始めたのは『バケモノの子』以降です。この事実から、「脚本家との共同作業」が監督の作家性と大衆性のバランスに寄与していた可能性が指摘されています。

(参考リンク)細田守の監督映画作品|MOVIE WALKER PRESS

一方で、東宝やソニー・ピクチャーズの資金的なバックアップのもと、「意味不明で酷評されまくる異様な映画を作り続けてほしい」という、監督の「異様な地位を存分に活用」した変なオリジナル映画への期待も根強く存在します。スタジオ地図の次回作は、本作の経験を踏まえ、どのような方向性を示すのかが注目されます。